今季限りで現役を引退すると発表した女子ソフトボールの山田恵里外野手(38)=デンソー=が2日、記者会見を開き、引退を決意した経緯や東京五輪前の重圧、選手生活21年間の思い出などを語った。
千葉・浦安市運動公園野球場でのニトリJDリーグ試合後に行われた会見では、冒頭にサプライズで上野由岐子投手(40)=ビックカメラ高崎=が花束を持って登場。感激の涙をぬぐってからの会見となった。主なやりとりは-。
山田「今季に入り、打てている時はまだやれるとの思いもありましたが、毎日結果を出すために準備を積み重ねてきて、それが体も気持ちも厳しくなり、続けていくのが難しいと思いました」
-シーズン中の発表ですが。
「次の(2024年)五輪ではソフトボールがまた除外されるので、まだまだ盛り上げたいし、シーズン後に発表して来季見に行こうと思っていたのに、という人がいるなら、ここで発表してプレーを見てもらえたらと」
-最も心に残ることは。
「同じ時代を上野さんと過ごすことができたことは、一番の宝物であり財産。まさか花束を持って来てくださるとは。うれしかったのと、『先にやめてすいません』と。チームメートとしてはいろんなものを背負わせてしまったし、それを少しでも軽くできるようにとやってきた。対戦相手としては、上野さんを打つために必死で練習してここまで来られました(涙)」
-現役21年間で最も得たものは。
「(04年)アテネ五輪は周りを考える余裕がなく、自分が活躍することだけ。(08年)北京五輪で主将を任され、多くの人に支えられて感謝の大切さや、道具を大事にする気持ちを教えてもらった。選手というより人として成長させてもらいました」 -後輩たちには。
「日本代表は大変だと思うけど、自覚と責任を持ちつつ、その場にいられる幸せを感じながらやってほしい。実業団の選手も素晴らしい環境でできることを忘れずに」
2人の「宇津木監督」との出会い
-印象に残った投手や打席は。
「やっぱり上野さんですが、海外では(米国の)オスターマン投手とアボット投手。北京五輪でオスターマンから打った本塁打はうれしかった。それと(日本の)後藤(希友)投手(トヨタ)。最後に対戦できたらうれしい」
-一緒にプレーもした宇津木麗華日本代表監督に報告は。
「一番近くにいて、たくさんのことを教わりました。引退を報告して『よく頑張ったね。これからは違う形で貢献して』と言われました」
-アテネ五輪監督・宇津木妙子さんとの出会いも。
「妙子さんの下でやりたいと思って実業団に入って代表に選ばれ、私は思った通りやれと言われて来ました。東京五輪の前、プレッシャーに押しつぶされていた時にも『大丈夫だから』『自信持って』と言っていただいて(涙)」
-東京五輪前、後輩の前では気丈に振る舞ったのでは。
「私が不安な思いを見せるとチームが崩れてしまう、しっかりしなきゃと思いながら、みんな、私の様子がおかしいのを感じて声をかけてくれたり、助けてもらいました」
「心は金、技術は銀」
-多くのルーティンを決めて準備してきました。
「今は毎朝4時半に起きていて、引退後も何かしら生きていくためのルーティンはあるだろうなと思うけど、もう4時半には起きたくないです(笑)」
-JDリーグを託す後輩たちへ。
「試合の配信とか会場でのMC(進行役)とか盛り上げてくれる方々がたくさんいて幸せだし、選手はそれを当たり前と思わず、プレーするだけでなく、自分たちからも盛り上げて喜んでもらう方法を考えてくれたらと」
-高校(神奈川・厚木商高)の後輩へ。
「私の原点は高校時代。利根川勇先生には一から教えていただいて、ここまでやって来られました。技術より心が大事、『心は金、技術は銀』とずっと言われて。高校は(24年)に合併するけど、ソフトボール部は続くとも聞いているので、志高く頑張ってほしい」
打撃は対応と読みが面白い
-引退後にしたいことは。
「ソフトボールしかして来なかったので、趣味もないんです。自然が好きなので、自然を見に行きたい」
-指導者には。
「いろんなことを勉強して指導者という形でも携われたらいいなと」
-家族に対しては。
「父が他界してから母と話すことも増えたし、何とか頑張っている姿を見せることができればと思ってやって来て、少しは楽しんでもらえたかなと」
-打撃の面白さとは。
「21年間で打ち方は変わってきた。若い頃は上からたたくだけでしたが、ドロップ系や曲がる球が増えて、ボールの軌道に合わせたスイングも習得したし、海外の選手の打ち方も学んだり、いろんな投手に対応して結果を出すところが面白いなと。それと駆け引き。私は配球を読むタイプ。自分の仕草や表情で配球も変わるので、一つ一つ考えるのが面白い」
◆北京五輪決勝の米国戦は3番で出場し、1回の第1打席はフルカウントから見逃し三振。6球とも振らずにオスターマンの球筋を見極め、ナインに「きょうはいける」と伝えた。日本は三回、三科真澄の二塁打と狩野亜由美の内野安打などで1点を先制する。
四回、山田の第2打席。初球に外角のドロップを空振りした。意図的な伏線でなく「本当に狙って振った」という。それで米国バッテリーは低め狙いと見たか。2球目は山田の読み通り高めのライズボール。中越えに会心のソロ本塁打をたたき込んだ。上野を援護する値千金の追加点。日本は3-1で勝って悲願の金メダルを獲得した。
-最後も納得できる打撃で。
「最後はたぶんヒットじゃないと思うので、皆さん、凡打を期待してください(笑)」
◆山田 恵里(やまだ・えり) 1984年3月8日生、神奈川県出身。外野手。厚木商高から2002年日立、21年デンソー。04年アテネ五輪銅メダル、08年北京・21年東京五輪で主将として金メダル。世界選手権代表6回。日本リーグでは新人賞、首位打者5度、本塁打王1度、打点王1度、ベストナイン14度。18年には前人未到の通算400安打を達成し、特別表彰を受けた。身長165センチ、左投げ左打ち。
(構成・時事通信社 若林哲治)
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