昭和55年2月11日午後4時、猛虎たちが大阪国際空港発のPAA機でキャンプ地の米国・アリゾナ州テンピに向けて出発した。その中に筆者はいない。当時は年功序列。担当であっても入社2年目に海外出張などまわってこなかった。
筆者は2月6日から高知・大方で行われている南海のキャンプに来ていた。高知空港から車で1時間半のところに大方球場はあった。
例年ならファンも数えるほどで報道陣も多くて20人。ところがこの年は「ドカベン」香川をひと目みようと、初日から100人以上のファンが詰めかけ、報道陣もテレビカメラ7台、記者150人。至近距離からの撮影は禁止。練習中にむやみに声を掛けない―など、異例の報道規制が敷かれた。
久しぶりに見る香川は少し痩せていた。1月12日の自主トレ初日の身体検査では、ベストより16キロオーバーの体重106キロ。早速、緊急コーチ会議が開かれ、食生活の改善が決定した。といっても、いたずらに食事制限はせず、大好物のコーラやジュースなど糖質飲料を全面禁止とした。そしてランニング主体のトレーニングメニューが組まれたのだ。
「あれ、虎番やろ。阪神のキャンプ行かんでええのん?」
ちょっぴり憎まれ口をたたいた香川はどこかうれしそうにみえた。そして初のフリー打撃で柵越え4発をかっ飛ばし、ファンの大声援に応えた。グラウンドでの練習が終わると選手宿舎「土佐ユートピアカントリークラブ」でランニング。起伏に富んだゴルフコースを懸命に走った。
最後の300メートルはハンデレース。香川だけ30メートル先から「よーいドン」。ゴール寸前、片平に抜かれて2着でゴール。「やったぁ!」と芝の上で大の字になった。もっと早く追い越せると思っていたナインたちが「ドカ、やるやないか」「速すぎるで」と笑顔で香川に抱きついた。初日の練習を終えた香川もうれしそう。
「だんだんみんなと同じ練習ができるようになる。あした、また進歩します」
そんな香川を広瀬監督たちも温かく包んだ。
「いまはこれでええ。練習はダメでも試合になれば力を発揮する選手はぎょうさんおる。香川もそうやないかと思う」
ええ球団に入ったなぁ。ちょっと安心した。(敬称略)
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