今や日本人のふたりにひとりがかかっているといわれる花粉症。花粉のせいで春の訪れを歓迎できなかった人も多いはずだ。 しかし、そんな花粉への愛を一冊の本『花粉症と人類』にまとめてしまった男がいる。東京農業大学教授でスギ花粉の研究をする小塩海平(こしお・かいへい)氏だ。「不当に憎まれている花粉の弁明をしたい」と書く小塩氏は、なぜ花粉に魅せられたのか? * * * ――先生も花粉症ですか? 小塩 そうです。もともと花粉症ではなかったのですが、博士論文でスギの花粉の飛散を防ぐ研究をしたときに大量に浴び、花粉症になってしまいました。後悔は全然していませんが、当時は「スギ花粉は全滅させる」と意気込んでましたね。 ――そんな先生が花粉にこうして魅せられたのはなぜですか? 小塩 忘れられかけている人と自然とのつながりが、花粉を通して見えたからですね。私の実家はランの専業農家なのですが、今は農業がどんどん工学化・ビジネス化していて、遺伝子工学や生命工学でいじったりした植物を、大規模なマーケットで売りさばく、味気ない世界になっていくのを見てきました。なんだか、人と自然とが断絶しているなぁと。 でも、私はそのつながりを回復させたい。この本で花粉と人類との付き合いの歴史を書いたのはそのためです。今は嫌われている花粉ですが、実はずっと愛されてきたんですよ。 ――というと? 小塩 人類が初めて花粉症を意識したのは10世紀頃の中東で、発見されたバラの花粉症は「バラ風邪」と呼ばれていましたが、まだ花粉が原因とまでは突き止められていませんでした。バラ風邪の記録は中世ヨーロッパにも多いのですが、忌み嫌われていたわけではありません。 そして、花粉症がさらなる関心を集めたのは19世紀のヨーロッパですが、当時の花粉症はステイタスシンボルでもあったのです。
――ステイタスシンボル? 小塩 当時は貴族階級のアングロサクソン民族だけが花粉症になり、下層民はならないと思われていたからです。実際にそのようなデータが出てくると、花粉症は優生学に結びついたりもしました。「花粉症になるのは、選ばれし民族の証(あかし)なのだ」ということですね。 "花粉症の父"と称されている医師、チャールズ・ブラックレイが研究を始めたのはそんな19世紀のイギリスです。ブラックレイはすごい人で、飛行機もない時代にたこを飛ばして空中の花粉の量を測ったりしていたのですが、花粉愛が高じたブラックレイはそれだけでは飽き足らず、自分の体を実験台にして花粉の研究をしたんですよ。 鼻腔(びくう)や引っかいた皮膚に花粉を擦り込んだり、抽出液を点眼したり。「めまいと激痛に襲われた」とか「ミミズ腫れができた」と本人が書き残しています。その苦労のかいあって、ブラックレイは花粉症の原因が花粉であることを突き止めました。進化論で有名なチャールズ・ダーウィンもブラックレイの研究に感激し、手紙を書いたくらいです。 ――ものすごい花粉への愛ですね。 小塩 ええ。その後も花粉症をステイタスシンボルと見なす風潮は消えず、19世紀後半のアメリカでは、ピークのシーズンに裕福な花粉症患者が避難する「花粉症リゾート」が一大ビジネスになります。避暑地感覚で都会から離れた超高級ホテルに宿泊する自分たちを、選ばれたエリートだと思っていたのではないでしょうか。 小説家・詩人のアーネスト・ヘミングウェイも子供の頃、親に連れられて花粉症リゾートで過ごしていたようです。彼の愛憎入り交じる家族観や女性観などの作風は、一家の花粉症ホリデーによって醸成されたのではと私は考えています。 ――日本ではいつから花粉症の関心が表れたのですか? 小塩 昭和初期から、欧米のエリートへの憧れを背景に日本人も花粉症になれるかどうかの研究がされたりしましたが、花粉症自体広く知られることはありませんでした。 患者が増えたのは1970年代後半からで、有名になったのは1984年にプロ野球の田淵幸一選手が花粉症を理由に引退したのがきっかけですね。今は国民病になった花粉症ですが、私は、花粉症には現代社会のいびつさが表れていると考えています。
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